工場

「工場」(新潮社)

小山田浩子(著)

(第42回新潮新人賞受賞作)

 

牛山佳子は、何度も転職を繰り返した後、巨大な工場に就職が決まった。

工場は昔から土地にあって、子供の頃からよく知っているし、そこの製品も使ったことがあるはずなのに、何を作っている工場なのかもよく分からない。

正社員のつもりで応募したのに、面接の時点で契約社員ということになってしまった。

いざ働いてみると、仕事内容は単純作業(運ばれてくる廃棄資料をただひたすらにシュレーッターするだけ)で、現場の人間関係も悪くはない。

一見恵まれているような環境に身を置くこととなった彼女だったが、やがてあまりにも単純すぎる仕事を繰り返す日々の中で、労働と生き甲斐(生きる意義)との間に存在する乖離に気付づく。

工場というのは、日本全国、割とどこの地域にも規模の大小はあっても存在していて、だから工場で働いたことのある人は(短期的なアルバイトも含め)、この国には結構な数でいるんだと思います。けれど、実際にそうした労働経験のない人が読んでも、この作品のリアル感は伝わるでしょう。

また、職場の上司や先輩同僚といった人々の描写、仕事内容や建造物としての工場の細部における情報が詳細でリアルなのに、得体のしれない巨大施設として工場が描かれ、不思議な生き物(ヌートリアや洗濯機トカゲ、工場ウ)などが生息していて、ズリパンなる、変質者のような森の妖精までいる、ということになっていて、なんだか可笑しなシュールレアリズムの世界に足を突っ込んでしまったような読み心地です。

選考委員の福田和也さんは

「ライトなカフカ」(『新潮』2010年11月号選評より)

と表現しましたが、確かに巨大な工場の様相が、カフカの「城」を髣髴させます。

選考委員の選評の中で、一番気になったのは、町田康さんの次の言葉です。

半ば過ぎに提示される、「工場の中の生き物の研究」というレポートによってあまりにも明確に作品世界が明らかになってしまい、工場の謎めいた雰囲気や意味不明な労働といったこの作品の魅力を殺いでしまっているのが残念だった。(同上より)

このレポート(ヌートリアや洗濯機トカゲ、工場ウを研究したもの)に関しては、桐野夏生さんも、「蛇足に感じられた」としています。

確かに、これらの生物に関するレポートの挿入は、なんとなく乱暴に差し挟まれてしまった印象もありますし、あまりにも具体的過ぎて、むしろ不気味さが薄まってしまった感じがしました。(レポートがなくても、印刷機のトナーとして利用されているかのような工場ウのくだりは、十分に面白いと思いました)

また、本作はただ単に工場という施設(あるいは組織)の得体のしれない世界を描いているだけでなく、労働者たちの物語でもあります。

作中、一番心に引っかかった一文を、挙げさせてもらいます。

何だか自分と労働、自分と工場、自分と社会が、つながりあっていないような、薄紙一枚で隔てられていて、触れているのに触れていると認識されていないような、いっそずっと遠くにあるのに私が何か勘違いをしているような、そんな気分になってくる。(「工場」より)

これは労働者たちの物語ですが、国家権力とか社会への不満、憤りといったものは、それほど強く描かれていません。

登場人物たちはそこに不満というより不思議な違和感を抱き続けながらも受け入れていて、労働者として日々を過ごしていきます。これといった大きな事件は起きない代わり、存在し続ける工場と労働と生活が、相変わらず淡々とある。そこに確かな手触りを感じられなくなっている、一労働者としての危うさが、この一文には集約されていると思いました。

「工場」は、現代社会における労働者たちの、不条理な現実への「気づき」の物語りではないでしょうか。

 

なお、本作品は、三人の視点を順番でまわしつつ、それぞれのエピソードを時系列を交錯させながら緻密に編みこんであって、とても複雑な構成になっています。

それでも読み手が混乱しないための工夫がきちんと施されていて、感心しました。

普通はこれだけ複雑だと、書いてる本人が混乱しそうですが、これも才能なんだと思います。

自制が前後したりエピソードをわざと交錯させたりするのは、マリオ・バルガス=リョサの『緑の家』の影響だそうです。

 

【小山田浩子 他作品】

「穴」(新潮社) (→読書感想はこちら)