文學界2016年12月号

「キャピタル」

 加藤秀行著

(第156回芥川賞候補作)

(文學界2016年12月号掲載)

主人公の「僕」(須賀)は、バンコクにいた。友人の誘いで、訳ありの部屋を借りることになったのだ。

彼の勤めていたコンサルティングファームには、7年間の勤務後に1年間の休暇を取る権利が与えられる制度(サバティカル)があり、彼はその権利を行使して休養中だった。

そんな状態で暇を持て余していた「僕」に、ファームの先輩だった高野(現在はファームを辞め、ファンドで働いている)から連絡があり、タイの病院に入院している、ある女性を見舞ってほしいと依頼がくる。

彼女はタイ人で、高野が勤めるファンドの就職内定者だったが、事故に遭ったことを理由に就職を断ってきた。それから音信も途絶えたという。

そもそも高野のいるファンドに内定が決まるほどの人材である彼女が、事故に遭ったとはいえ、このような常識から外れた行動に及ぶとはおよそ不可思議なことであるので、実際に対面して詳細な事情を聞きだし、出来れば就職を考え直す方向に持ち掛けてほしいというのが、高野の希望だった。

たまたまバンコクにいて、暇を持て余していた「僕」は、個人的な興味もあり、この依頼を受けることに決めた。

2015年『サバイブ』第120回文學界新人賞を受賞して作家デビューした加藤秀行さんは、2016年にも『シェア』第154回芥川賞候補になっていて、今回で二度目のノミネートです。

東京大学経済学部を卒業後、ビジネスコンサルティング会社に勤めていたという経歴は、本作品『キャピタル』の主人公を彷彿させるものがあります。

デビュー作の『サバイブ』では、やや客観的(第三者的)な立場から眺めていた高学歴高所得者であるオシャレなエリートビジネスマンたちの世界が、ここではぐっと近づきます。

本作では、それを実際に体験したものとして描かれ、それでいてそこから一時休暇という形で離脱している人間。その視点から、世界経済を動かしているメカニズムや、その最先端の現場に実際に身を置くものの緊迫感や覚悟や悲哀めいたものを眺めます。

そして、物語りのキーパーソンとなるのは、「僕」が高野からの依頼を受けて会いに行く、タイ人の女性です。

彼女は美人で、経歴も優れているのですが、実際に会って話を聞いてみると、実は資産家の娘で、今現在は家族を亡くしていますが、遺産として上場会社でもあるデータセンターを有しており、就職しようと考えたのは、将来会社を継ぐかもしれないので勉強のため、という考えからなのでした。

ここで登場するデータセンターが、情報化社会の墓場のように象徴的に描かれているのが、非常に面白いと思いました。

また、躍動する貨幣経済の中に呑み込まれてしまったような、現代社会のよりリアルな現実を、この小説はよく捉えていて、タイ(バンコク)、東京、北海道、そして最後には霞ヶ関と移動する中、世界の中での日本人、という枠組みさえ乗り越えて、グローバルな人間同士の交流(関係)を繊細に描きながら、それでも何事かに捕らわれているためにそんなに自由ではない主人公たちの現実も、見落としてはいません。

ラストにかけて明かされる真実の暴露が、やや出来過ぎていて興ざめな印象でしたが、秘密が明かされると同時に、神秘的存在感を醸していた一人の女性が、急にありふれた人間味を帯びてくるところなどは、むしろリアルな現実として描かれなければならないことだったのかもしれません。

少しばかり内容を多く書き過ぎてしまったのではないかと案じている所ですが、最後に声を大にして言いたいことは、本作品は筋書きよりも何よりも、文章が凄い!!ということです。

それを書き上げた時点での現代社会の、最も新しいリアル(時が経てば、もちろんリアルの最新は都度更新されるでしょうが、その時代、その時点で一番新しい感覚)を追求する、それが加藤秀行という作家ではないのかな、と私は認識しているのですが、本作品を読みながら、何度も痛感したのは、深い味わいのある文章の滋味でした。

情報処理能力に長けたこの作家は、多少小難しい内容でも、読み手にほとんどストレスを感じさせない平易かつ端的な文章への変換技術にも長けているのですが、合理的に整頓できない人間心理や叙情的な感覚もまた、非常に大事に取り扱っている繊細さがあります。

「叙情性」というワードが小説の中にも出てきますが、それは小説全体に漂っています。そしてこの感覚には、古典文学の香りすらします。

最新なのに、どこか懐かしい感じ。そんな印象のする作品でした。