新潮 2008年 11月号 [雑誌]

「クロスフェーダーの曖昧な光」

 飯塚朝美(著)

(第40回新潮新人賞受賞作)

(『新潮』2008年11月号掲載)

色覚に障害があり、赤い色が他の人と同じようには見えない世界にいる、「僕」。

かつて、僕にとっての光だった優秀な兄が、ある日突然現実の光を一切拒絶するようになって、カーテンに遮断された空間に閉じこもってしまった。

そんな兄に複雑な感情を持ちながら、僕は兄と暮らし、その面倒をみている。僕は、兄を押し付けてきた両親から仕送りをもらう一方、昼間は照明会社で働いている。

その照明会社の社長は、シメオンという一風変わった性格の男で、光は神だと信じていて、速水御舟の『炎舞』を僕に見せ、「これが神だ」と言ってのける。また彼は、『金閣寺』の舞台照明の仕事を引き受けると、僕に三島由紀夫の原作を読んで、照明の演出を考えろと言ってきた。

三島由紀夫の『金閣寺』へのオマージュで書かれたに違いない作品ですが、選考委員からはかなり手厳しく酷評されていました。

「光と闇」「兄と弟」「色覚異常とそうでない世界」などの対比構造が短絡的であることや、三島由紀夫の『金閣寺』や速水御舟の絵画『炎舞』の扱いが雑であること、過去の火災事件が現在の兄弟の関係性に大きな影響を及ぼしているようなのに、そこのところの説明が不十分なこと……等々、挙げればもっとたくさんあるのですが、私が一番に残念に思ったことは、

光を拒絶するに至った兄と、その兄を飼いならすかのように面倒を看続けている弟。この二人の関係性と、それぞれの内面の異様性の追及が甘い。

という一点です。

正直に言って、ここだけを丹念に取り上げて書きあげたものを、私はぜひ読みたいと思いました。(この奇妙で不気味な設定だけは、簡単に思いつかないと感じましたし、ここから書きだしたことも、良かった思います。三島由紀夫の『金閣寺』は、取り入れるにしても、精神的もしくは文学的支えにして、舞台の小道具の一つにするべきではなかったと思います。(もちろん、これは私の個人的な意見ですが……。)

物語りの構成や展開などは非常に上手く、そつなく全体を仕上げていて、しかも文章も読みやすくてかなりな水準だと思いました。

けれど、選考委員の松浦理英子さんが

しかし、これは悪達者というものではないだろうか。(『新潮』2008年11月号選評より)

と述べられたように、せっかくの技量が、この作品に関してはあまりうまく機能していないように感じました。

むしろ、この作品に関しては、もっと歪でもいいので、生々しい人間の暗い息遣いのようなものを感じたかった。そうしたら、少しでも三島由紀夫の『金閣寺』の、あの残酷で美しい孤独や透明感に近づけていたのではないかな、と思えてならないのですが……。

 

なお、補足ですが、「クロスフェーダー」というのは、照明の世界の独特な用語なのかと思ったのですが、同じような意味で、音楽の世界でも使われているようです。

二つの異なる色彩を持つ照明(音)を、片方をフェードアウトさせつつ片方を逆にフェードインさせていくと、両方の色(音)が同じ強さで重なる地点がくる。そこがクロスしているということらしいです。(説明が下手ですみません……)