あひる

「あひる」

今村夏子著(書肆侃侃房)

(第155回芥川賞候補作)

 

主人公の「わたし」が両親と暮らす実家で、「のりたま」という名前のあひるを飼うようになった。のりたまは、父親の元同僚が飼っていたあひるで、事情から手放すことになったのを引き受けたのだ。

のりたまが来てから、子供たちがよく遊びにくるようになった。

終日、実家の二階で医療系の資格を取るための勉強をしている「わたし」は、あひると子供たちと両親との交流を、そっと見守る。

弟が結婚して出て行ったので、「わたし」と両親だけの空間だった実家が、急ににぎやかになる。

ところが、間もなくすると、のりたまが病気になった。ある日、のりたまの小屋に姿がなくなっていて、母親によると、父親が病院に連れて行ったという。

のりたまが消えると、しばらく子供たちの来訪はなくなった。

二週間ほどして、のりたまは戻ってくる。しかし、以前ののりたまとは、少し様子が違っていた……。

今村夏子さんは、

2010年に第26回宰治賞、翌年年に第24回三島由紀夫賞を受賞したこちらあみ子』(『あたらしい娘』を改題)

を書かれていてます。(→読書感想はこちら)

 

本作「あひる」は、福岡を拠点にしている「書肆侃侃房」という出版社が発行している雑誌「たべるのがおそい」に掲載されたものです。

ローカルな場所からの発信でありながら、受賞は逃したとはいうものの、芥川賞候補に選出されるということは、素晴らしいしいことですし、実力があればこそのことで、なかなかあり得ないことだろうと思います。

本作「あひる」は、どこかのんびりとした雰囲気でもあり、主要キャストが、あひると子供と年老いた両親という、これまた童話のような世界観漂う面子ではありますが、実はそんなにほのぼのしたお話というわけでもありません。

あひるの「のりたま」は、三度死にます。

その死を、「わたし」や子供たちの手前、両親はなんとか取り繕って隠そうとして、次々と新しい「のりたま」を送り込んできます。そうすることで、あひるがもたらしてくれた、子供たちとの思いがけない交流(関係性)を、持続させようとします。

弟夫婦に子供が出来ないことを気にしている両親は、のりたまに子供たちが会いにくるようになってから、そこに代替え的な愛情のやり場を見いだしていくのです。

けれど、三度目の「のりたま」の死を「わたし」によってしっかりと見届けられてからは、それもかなわなくなります。

「動物」の命を、代替え的な愛情の注ぎ場としてしまっているのは、完全に人間のエゴであるとも言えますし、そもそも何がしかの動物を飼うという行為こそ、本質的に「愛情の歪み」の象徴なのかもしれません。

近所の子供たちと両親との関係性が、「愛情ゲーム」みたいに水面下で見えないやり取りをしていて、「あひる」や「お菓子」や「その他の娯楽物や客間の提供」など、餌として次々アイテムを追加していっても、常に子供側に軍配があがっていて、なんだか切ない。

けれど、この両親にしたところで、結局は子供一人一人に対する愛情などは存在していなくて、あくまでも「あひるを目当てにやってくる近所の子供ら」という括りの中での関係性なのであり、要するにただ表面的な「代替え愛」なのです。

ここに、「家族」という、本来的にはまっすぐな愛情関係の迷走があり、物語りの終盤で、弟夫婦に子供が出来ることで、それは軌道修正された気もするのですが、けれど何となく、三匹のあひるの死の後には、それさえも軽薄で表面的なものであるような気がしてなりません。

芥川賞を受賞した村田沙耶香さんの『コンビニ人間』に比べると、確かに地味な印象の作品ですが、言葉一つ一つ丁寧に紡がれていて、ただ読みやすいだけでなく、よくよく吟味されて書かれているのがわかります。また、はっとするところの多い作品であります。

書肆侃侃房から出ている単行本『あひる』には、表題作の「あひる」の他、「おばあちゃんの家」「森の兄妹」という書き下ろしの短編も収録されていて、今村夏子さんの世界を楽しめます。