けちゃっぷ

「けちゃっぷ」

喜多ふあり著(第45回文藝賞受賞作)

(河出書房新社)

 

日常で他人と会話することのない主人公(「私」=女)は、親の仕送りでマンションに独り暮らし。外に出かけることはほどんどなくて、心の声をひたすらブログに書き綴っている、という生活。そんな彼女のブログへのコメント欄には、「しね」「氏ね」「死ね」の文字が躍る。

「あ、そうだ自殺するんだった」と書き込んで、さらに自殺方法など考えているのをつぶさに書き込んでいると、(「私」の)脳内彼氏と同じ名前の「ヒロシ」なる人物から、「どうせ死ぬんだったらさ、一度でいいから俺と会ってくれないかな?」の書き込み。

無視するつもりだったけど、なんとなく会うことに。会ってみると、オダギリジョー似のイケメンだったが、なにかヤバそうな雰囲気もする。撮影に携わる仕事をしているということで、この次は仕事の現場を見せてやると言われ、いったん別れて翌日また会うことに。

ヒロシが「私」を連れて行った先は、AVの撮影現場だった。

ヒロシは普通に喋るのに、「私」は携帯電話を使ってブログに文字を打ち込み(凄まじい速さで)会話を成立させていく。

物語が進むとヒロシ以外の人間も登場してきますが(撮影現場の監督など)、ヒロシ以外の人にはこのやり方が通じる訳もないので、基本的に「私」はずっとヒロシとだけ話し(つまり、ずっとブログに書き込み)続けている状態。

一人称(独白調)で書かれているので、ブログに書き込まないただの「心のつぶやき」の部分もありますが、基本的には物語は「私」のブログ世界と同時進行的に順次更新されていくわけです。

「受賞の言葉」で、作者は、”シリアスな話をシリアスに書くのではなく、冗談のような世界に痛みを伴うリアルな針をプスッと刺すような作品”を書きたいのだと述べられていて、確かに、冗談のような世界は十分リアルに出来上がっているな、と感心しました。そこに、どこまで「リアルな針」がつくれたのか、という一点でのみ、私はこの小説に完全に「参った」とは言えない感想を持ちました。(もちろん、こんなのは個人的な感想に過ぎません。無視してくださって構いません)

選考では、斎藤美奈子さんが、

もしかしたらこれは二〇〇〇年代の「なんとなく、クリスタル」かもしれない(『文藝』2008年冬号 文藝賞選評より)

という言葉を残しているのですが、当の「なんとなく、クリスタル」作者である田中康夫さんが、本作を絶賛されています。自分と似たような作風だと、むしろ評価は厳しく傾くのではないかと思うのですが、”舌を巻いた”とまで言われているのですから、そこにはそれなりの「リアル」が内在するのでしょう。(選評で、田中康夫さんは、5回も「リアル」という言葉を使いました)

確かに、活字から構築された「リアル」はあったと思います。それは、ブログ世界という奇妙な仮想現実の空気感のようなものを、よく捉えているな、とも思えるものでした。

ブログの書き込みというのはおかしなもので、日本国内に限っても物凄いブログ人口がいるのに、なんとなく語調が似通っているな、という気がします。

つまり、”ブログ内での話し言葉”的な語調があって、(そこにも流行りすたりはあるのでしょうが)一つの言語圏(方言と同等みたいな)くらいには成長してきているのだと思うのです(この見解、間違っていたらすみません……)。

そういう世界に固執した(というか、魚が水から出られないみたいに、そこでしか生きられない)人間もいる。そんな人物像というものを、客観的な視点からの描写ではなく、その本人が発信する言語(ここではブログの書き込み)から確立してしまう、という発想だけでも面白いのですが、この奇妙な「ブログ内人間」とでも呼ぶべき登場人物を、あえて外の世界に引きずり出し、そこで会話させてみると、「ブログ内人間」は「ブログ内人間的会話方」なるものを編み出してきて、対応している、というコミカルな図式ができて、「冗談のようなリアル」が完成されるわけです。

物語りは後半、「ケチャップ」いう題名に暗示されているように、「死」(もしくはスプラーッター的世界)(ケチャップは血に似ていますからね)の周辺を漂います。

AVの監督だと思っていた男が、実は危険思想の持ち主で、自らの主張を映像化しようとして、自主制作の映画を撮影していて、その撮影作業に自然、「私」もヒロシも巻き込まれていく、といういかにも胡散臭い流れ(B級映画的とでも表現したらいいのでしょうか)は、本作品の根底からあるそもそものうさん臭さ(もしくは偽物臭さ)とほどよくリンクしている感があって、個人的には面白かったです。

ただ、人間同士のコミュニケーションもしくは、コミュニケーションの断絶のようなものを、作品はもっと突き詰める必要があったのではないかな(「ブログ内人間」のような主人公を描いた時点で)と、私は勝手に考えたのですが、物語は主人公が、「死」の感覚を録画テープを通じて実感し、その上で「生」の感覚に行きついて終わります。

できるなら、このラストを、「もう、わけわからんわ!」と腹立たしくなるほど意味不明にしてフェードアウトしてほしかったですが、よくよく考えられた塩梅に、ブログは閉じられたのでした。

 

※第45回文藝賞は、本作と並んで、

「おひるのたびにさようなら」(安戸悠太著)が同時受賞されています。 (→読書感想はこちら)