きみは赤ちゃん

「きみは赤ちゃん」

 川上未映子著(文藝春秋)

 

 

 

文學界新人賞及新潮新人賞の選考委員である川上未映子さんが、自身の出産におよんでの出来事を記した体験記です。

「出産編 できたら、こうなった!」は、本の話webに連載されていたもので、「産後編 産んだら、こうなった!」は、書き下ろしされたものです。

三十五歳で計画妊娠をして出産し育児に没頭する、という、これだけ聞けば多くの世の女性が経験することですが、芥川賞作家である川上未映子さんが、実体験の切実さをそのままむき出しに書いていて、改めて、出産って凄いな、壮絶! と感慨深いものを抱いてしまいました。

夫「あべちゃん」として何気なく登場する作中人物は、もちろん芥川賞作家の阿部和重さんですが、ここでは少し存在感が薄くなっています。

小説は、つわりの苦しさしんどさ、つわり後の恐ろしい食欲、産みの現場の緊張感、帝王切開後の壮絶な痛みとの闘い、我が子への愛情と育児地獄の恐怖……

と、ほとんど赤ちゃんにまつわる出来事を総ざらいしているので、合間合間に出てくる夫への注意はどうしても散漫になっているようです。

面白いのは、自身が書いた「乳と卵」での描写力の甘さを、実際の体験を元に反省している所で、妊娠すると女性の乳房がどのように変化して、乳首がどんな色形になるかといったことを(「乳と卵」では、”アメリッカンチェリー色”としているのに、実際の妊娠中の乳首は”電源を落としているときの、液晶テレビの画面の黒”などと改めてみたり)描写していて、そんなところまで伝えようとする作家魂に心打たれました。

けれど、本作の魅力はなんといっても、芥川賞作家らしい、哲学的な洞察がきちんと根底にあることで、生命の不思議さや不条理感、自分自身のエゴなど、逃さず書かれていることです。

わたしがいま胸に抱いているこの子は誰だろう。どこから来た、いったいこの子はなんなのだろう。わたしとあべちゃんが作ろうと決めた彼は赤ちゃんで、わたしのおなかのなかで育ち、そしてわたしのおなかからでてきた赤ちゃんなのだけど、でも、肝心なところ、彼がいったいなんなのか、どれだけみつめても、それはわからなかった。そして、やっぱり彼は、わたしとあべちゃんが作ったわけでは、もちろんなかった。(「きみは赤ちゃん」より)

この文章、何気に凄いと思うんですよね。命そのものへの根源的な疑問。ただの出産記録ではなくて、ここから始まっている物語りなんだと、はっとさせられる気がします。

これから結婚や出産、育児を経験することになる人や、今現在経験中の人ばかりでなく、もう既に一通りのことをやり通したという人が読んでも、きっと面白い読み物であると思います。

前者は未知の世界を知る悦び、後者はそれを思い出す悦び。

性別も関係ない気がします。男でも女でも、命の大元は同じですから。

もちろん、結婚、出産、育児とは無縁であっても、心に残る何かはきっと受け取れる、そんな一冊だとも思います。