昨夜のカレー、明日のパン (河出文庫)

「昨夜のカレー、明日のパン」

木皿泉著(河出文庫)

 

 

 

木皿泉というのは、和泉努さんと妻鹿年季子さんという夫婦作家(脚本家)です。

二人で一つのペンネームを持つ作家と言えば、『犬はいつも足元にいて』第46回の文藝賞を受賞した大森兄弟がいますが、珍しいスタイルだと思います。ちなみに、偶然かもしれませんが、文藝賞も河出文庫(河出書房新社)さんです。

7年前に夫(当時25歳)を失くしたテツコは、その後もギフ(夫の父親)と同じ屋根の下に暮らし続けている。笑うことも、「ムッ」とした顔も出来ずに、いつも「ムムム」という表情をしている隣人の「ムムム」が、ある日テツコに、ニッと笑った。

その翌日、テツコは恋人の岩井さんに、プロポーズされるのだが……

もう7年も前に亡くなった夫の父親と暮らし続けている、という設定が、普通ではあり得ないのですが、何故かこの小説の中では上手い具合に自然と成り立ってしまっています。

むしろ、そういうことが奇妙に成り立ってしまったことの「哀しさ」のようなものが滲んでいて、それは、”本当はどうしようもなく悲しくて生きていけないくらいショックなこと”なのに、そういうものを背負ったまま、ちゃんと生き続けられている強さへの罪悪感、のようでもあります。

人間は(人間に限らず生命全て)、必ず死ぬものですし、人間がそのようにつくられている限り、「大切な誰かの死」を受け入れ、背負ったまま生きている人間も、この世には大勢存在しているのです。

そういう立場に不本意ながら立ってしまった、テツコやギフという人たちの生活を描くことで、人生全般の虚しさや哀しみに、人はどうやって向かい合って進んでいくのか、という問いかけを発し、そこへ細やかな答え(もしくはヒント)のようなものを、小説は探し続けます。

もちろん、これらのことに作者は答えなど出してはなくて、ただ”生きる知恵”のようなものだけが、「さりげなく差し出されるハンカチ」的な優しさで、そっと読み手に送られます。これは、そういう小説だと思います。

2014年の本屋大賞で二位になり、山本周五郎賞の候補にもなった作品ですが、話題になった当初は、珍しい「夫婦作家」ということしか頭にはなくて、作品を読んだのも、実はつい最近のことでした。

読みだす前に、何気なく眺めていた表紙裏の作家紹介の中に、”03年、初の連続ドラマ「すいか」第22回向田邦子賞受賞。”というのを見つけて、「あっ!」と思いました。

確かに、昔、そんなテレビドラマがあったことを、それほどドラマ好きというわけでもない私が、なぜか鮮明に記憶しているのでした。

03年と言えばもうずいぶん古いですし、どちらかというと地味なドラマだったので、知らない人は多いと思いますが、実際に見ていたら、必ず記憶には残ったのではないでしょうか。

派手な演出がある訳でも、ヒロインやヒーローが登場するわけでもない(主役は、信用金庫に勤めるOLで、小林聡美さんが演じられてました)、しかしながら、細やかな日常でのやり取りや何気ない会話が絶妙に面白く、引き込まれるドラマでした。

舞台は、「ハピネス三茶」という下宿屋で、小林聡美演じる「基子」が、同居人たちと緩くてのどかな交流を繰り広げるという展開なのですが、小泉今日子演じる「馬場ちゃん」という、基子の同期OLが三億円を横領して逃走する、というストーリーがこれと同時進行的に展開します。三億円横領事件よりも、なぜか、「ハピネス三茶」の住人たちの日常生活の方が、よほどユニークで、私にはちょっと衝撃的でした。

”ああ、あのドラマを書いた人たち!”という頭で、小説「昨夜のカレー、明日のパン」を読み始めたのでした。

確かに、一話一話中に、ドラマの展開を思わせるような構造というか、流れ方があって、脚本を書いている人ならではの呼吸があるのかもしれないと感じました。

テレビドラマという、ある種、夢を売ることが商売の人ならではの甘さも薄っすらとは感じましたが(その甘さの裏にはしっかりとビターテイストも効いているのですが)、そういう甘さも含めて、読んでいると心が和む作品でした。