嫌われ松子の一生 (上) (幻冬舎文庫)嫌われ松子の一生 (下) (幻冬舎文庫)

「嫌われ松子の一生」

 山田宗樹著

(幻冬舎)

 

他殺死体で発見された伯母(川尻松子)の遺品整理を父親に頼まれた甥(川尻笙)は、松子が最後に過ごしたアパートに、恋人の明日香を連れて出向く。

松子のことは、これまで家族の誰からも聞かされておらず、そんな伯母がいたことすら、笙は知らなかった。

父親は松子のことをあまり話したがらず、三十年くらい前に蒸発したのち、消息不明だったのが、三日前に東京の警察から電話があり、事件のことを知らされたという。父親は、”川尻の面汚し”とまで言って松子を蔑んだ。

不動産屋やアパートの隣人から聞いた情報でも、松子は近隣住民に疎まれるタイプの人間だったらしい。

親族と言っても、今まで会った記憶もない伯母に、まったく同情する気持ちも起こらない笙だったが、松子が眺めて泣いていたという荒川の景色を見たとき、それまで他人同然だった気持ちに、僅かだけ変化が起こる。

そこに、どうやら松子の事件に関りがあるらしい男(警察から写真を見せられていた)の姿を見つけて……

元々、田舎の中学教師だった松子は、真面目で清楚で、生徒から憧れの対象となるほどスレンダーで美しい女性だった。

修学旅行先の旅館で窃盗事件が起き、松子が受け持つクラスの生徒が疑われた。問いただしても罪を認めない生徒の罪を、松子は自分が被ってしまうことになる。これがきっかけで、松子は職場を追われ、同時に失踪を決意するに至る。

……と、この松子が失踪するまでの展開が非常に面白く、一人の女の愚かさや儚さ、彼女の置かれた世界の危うさや厳しさを的確に表現していて、しかも松子が家族や他の全てのものを置いて実家を飛び出していき、自転車のペダルをこぎまくるシーンは、最初から映像化されることを念頭に書かれたのではないかと思うくらいに鮮やかです。

その後、松子が辿る運命は、悲惨な限りなのですが――(恋人を自殺で失い、愛人になった男に捨てられ、風俗嬢となり、薬物を使用するようになり、あげくヒモになった男に裏切られて、その男を殺してしまい……)不思議と松子はその都度果敢に人生に立ち向かって行きます。

その姿は頼りなくも美しいのです。

ただ、いつも彼女は人間的な小さな過ちを犯しがちで、そのせいでせっかく幸せを掴みかけても、結局は手放してしまうことになります。

もちろん、そこには松子自身にもどうすることも出来ない不運な出来事も重なるのですが、それを引き寄せてしまっているのも、松子自身であるようです。

というのも、松子の周りには、常に男がいて、ほとんどの不運な出来事は、その男たちがもたらす結果であり、松子自身はそれがどうしようもない男だと分かっていても、彼らから離れることが出来ないのです。

それは、松子の中にある「母性」であり、またかつて冷たかった父親に対する「思慕」でもあり、女としての「渇望」がそうさせるのですが、そう考えると、なんだか実に人間的で、平凡で、当たり前の「一人の女」、という気がします。

そう、この物語は、特殊な環境に身を落とすことになった女を描きながら、実はどこにでもいる、ありふれた女を描いているのです。そして、松子が遭遇したような悲劇は、なにかの弾みで誰にでも起こり得るのだという人生の危うさや不条理を描いてもいるのです。

本作は、映画化やドラマ化もされ、非常に注目された作品となりましたが、文体や展開が大衆的に書かれているためか、まだ文学的な真価を問われていないようにも感じます。

文学の一端は、「人間を描く」ことであり、その上で心かき乱す何かを創り出すことだと、私個人は信じているので、そういう観点からは漏れていない作品だと評価します。