群像 2006年 06月号 [雑誌]

「無限のしもべ」

 木下古栗(著)

(第49回群像新人文学賞受賞作)

(群像2006年6月号掲載)

 

主人公「稔」は、脳裏に強烈な紫の光を感じて目覚める。

早く目覚めすぎ、せっかくの休日なのに、と思いながらもすっかり目が覚めてしまった稔は、起き出す。

何気なく室内で過ごしていた彼だったが、ふとマンションの外を見下ろすと、4人の男女(男2人、女2人)が駐車場に円卓を持ち込んで、ティーパーティーを繰り広げている。稔は彼らに釘づけになる。どうも、女の一人は美人のようだ。これは何としてもパーティーに参加させてもらい、その流れで濃密な性愛など楽しみたい、あわよくば更に……と淫靡な考えにとりつかれた稔は、作戦を練る。

まず窓から紙飛行機を飛ばしてみるが、これは上手くいかず、次にスーパーボール。これも上手くいかず、ついにフリスビーを使ってみると、上手い具合に円卓の4人の興味を引くことが出来た。

男二人が稔のフリスビーを拾って楽し気に遊び出したのを見て嫉妬した彼は、急いで部屋を飛び出して階下の駐車場へ走る。

さっそく話しかけ、自分も輪に入れてもらおうとした稔だったが、急にやって来た部外者(稔)を前に、4人の男女は怪訝な表情を向ける。

彼らは稔に対してどうも閉鎖的で、そこに無理に入り込もうとする稔に、なんとなく冷淡な態度をとるのだった。それでも濃密な性愛が諦めきれない稔は、なんとか彼らの気に入られようとするのだったが……。

まず、設定全てがおかしいのです。マンションの駐車場で円卓を囲んでティーパーティーをする男女など、聞いたことも想像したこともない、というのが当たり前ではないでしょうか。これを目の当たりにした稔の第一声の心の声が、”あれじゃあ車が出られないじゃないか”という、これもだいぶずれた感想。なんとなく、不思議の国のアリスの、ティーパーティーの場面を思い出しませんか?

冒頭から主人公はちゃんと目が覚めている訳ですから、これは夢の中の話ではない、と思わせておいて、けれどなんだか奇妙で気持ちの悪い夢の世界に、迷い込んだかのような展開が続きます。

朝からマンションの駐車場で円卓を囲んでお茶を飲み談笑している男女など、異様としか言いようがありませんが、そこに「自分も参加したい」などという発想を持つ主人公の精神状態はもっと異様で、ほとんと異常と言ってもいいところです。

一見コントのようで、馬鹿々々しくもある不思議感満載の設定であるのに、少しも笑いが巻き起こってきません。(読む人によっては巻き起こってくるのかもしれませんが)、むしろ違和感からくる寒々しいような感覚だけが張り付いていて、「狂気」というものの存在をはっきりと意識させます。

ここで重要なのは、どう見ても「異様な男女」が、主人公の「稔」に対してはごくごく普通の人間の持つ「嫌悪感」を一貫して示し続けていることです。読んでいるうちに相対的なバランスから、彼らの方がごく良識的な人間に見えてきてしまう、というなんだかエッシャーのだまし絵的な構図が産まれてくるわけです。

作品の隅々に、完全に意識された下品さが漲っていて、生々しい性に汚れた小説、と言ってもいいくらいですが、言葉のリズム感の良さと構成力の緻密さもあり、そこにエッシャー的だまし絵感覚で読者を翻弄しようとすところは、侮れない気がします。非常に野心的で実験的な作品ではないでしょうか。もしかすると、作品を通しての一貫した下品さは、むしろそうした企み事の隠れ蓑であるのかもしれません。

本作品でデビュー後も、独自の世界観を構築し続けている作者には、『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』や『ポジティヴシンキングの末裔』、『グローバライズ』などの作品があります。少し灰汁の強い作風ですが、「毒」が読みたくなったら、手に取ってみるのも悪くないかもしれません。

《木下古栗氏の作品〕

金を払うから素手で殴らせてくれないか?ポジティヴシンキングの末裔 (想像力の文学)グローバライズ