文学界 2013年 12月号 [雑誌]

走る夜」野上健著

(第117回文學界新人賞にて、吉田修一奨励賞受賞作)

(『文學界』2013年12月号掲載)

 

本作品は、第117回文學界新人賞にて、「吉田修一奨励賞」を受賞された作品です。背景としては、おそらく他の選考委員の押しがなかったので、受賞には至らず、佳作とすることも出来ずに、敢えて一選考委員である吉田修一さんの名前を冠した特別枠の賞を設けることにした、ということだろうと思われます。

足が遅いことに劣等感を抱えている男「青井しげる」が、突然その『屈託』に耐え切れなくなり、友人の「安井」を巻き込んで、夜の公園でひたすら7秒台になるまで50メートル走を繰り返す。というストーリーです。(どこかコント仕掛けの気配がしたのですが、作者の経歴にお笑い芸人を目指していた、とあったので納得です)

作風としては、登場人物の目線が何度も切り替わる、それこそ「リレー方式」をとっていて、とても軽快な調子です。こうした目線の切り替わる作品としては上田岳弘さんの『太陽』などが文体的に近い気がしました。ただし、描かれている世界の大きさが違うので、横並びの比較は出来かねるかと思います。

少し安易な気がするほど、何度も同じ人名や言葉(フレーズ)を繰り返したりと、文体そのものは軽薄に満ちています。ですが、なぜか不思議と説得力があり、まさしく「コント」のように人を引き込んでいきます。

「青井しげる」が突然、”7秒台で50メートルを走りたい”、と思いつくのも突発的で強引ですし、付き合ってくれる人間が必要だと考えて、その話を何年も会ってなかった、しかも遠方にいるらしい友人「安井」に電話し、「安井」は簡単にそれを受けて、わざわざ真夜中をバイクで駆けつける……。どう考えても、なかなかあり得ないシチュエーションですが、これがコントのように絶妙に成立してしまっている、というところがこの作品の魅力ではないかと感じました。

7秒台で50メートルを走りたいという願望が、実際に走ると11秒台だった時の衝撃や、そこから距離ではなく秒数(7秒台)にだけ重点を置きだした「青井しげる」が、徐々に測定距離を減らしはじめるあたりは本当にシュールで、軽い感動さえ覚えました。

吉田修一さんは、次のように選評で述べられています。

ルールばかりが多くて、勝者ばかりの世界。ただ、傍から見れば敗者ばかりの世界。なんだか全体としてしっちゃかめっちゃかなのだが、この「走る夜」にはまさにそのような世界を描こうと試みた形跡があるのだ。(『文學界』2013年12月号 選評より)

このコント仕掛けのような作品は、ありきたりな世界の法則の外側に連れて行ってくれる気がして、難しい文学論より単純にそこを楽しめばいいのではないかと思いました。この作風からさらに発展していくと、やはり上田岳弘さんのような作品を書くのでしょうか。けれど、方向性がまだ定まっていないような気もするので、そういう可能性に、吉田さんは惹かれたのかもしれません。

なお、雑誌への掲載に当たっては、本作品はラストの場面を一部修正しているようで、選評でかなり疑問視されていた部分(警察官が発砲する場面)ではないかと推測します。