十七八より

「十七八より」

乗代雄介(著)

(講談社)

(第58回群像新人文学賞受賞作品)

 

 

かつて十七、八歳だった自分を「あの少女」と呼び、あたかも他人事のようにして語り手が物語を紡ぐという小説です。選考委員の辻原登さんが、『群像』(2016年6月号)の書評で

――この小説らしき書き物を私は要約することができないし、するつもりもない。

と言われているとおり、私自身もそう感じるので、ここではストーリーをあらすじ的にまとめることはしません。

よって、ここからは、私の「読書体験」的なことを記すまでです。

出だしからペダントリックであまり中身のないような言葉遊びの文章が押し寄せてきて、正直当惑しました。冒頭の数頁までいって、頭を抱えてしまい、あまりにも感情移入出来なさに、自己嫌悪しそうにまでなりました。(まず、普通ならここで匙を投げて――実際には本を投げて――いる所ですが、そうも出来ない何かが確かにありました)

そこで、これがどういう企みで(あるいは背景で)書かれているものなのか知るために、選考委員の方々の書評をとりあえず読んでみました。各選考委員の方々の書かれた書評の行間から、この小説が言葉の可能性の為に敢えて読み辛く意味の掴みづらい文章形式をとっているのだろう(例えば、芥川賞を受賞した『abさんご』みたいに……)、と推測し、それを踏まえたうえで、もう一度挑戦してみることにしました。そうして読んでいくと、感情移入は出来ないまでも、次第に文体に馴染むことができました。

ある程度読み進んだ所で、急激に面白いと感じた場面があり、それは少女が家族と焼肉屋に行く場面なのですが、「ほとんんど乗り移ったようにサリンジャーだな」と感じました。その後も幾度かサリンジャーを思わせる場面が出てきて(家族が登場する場面がほとんどでした)、そこだけ妙に面白かったです。

読了した後で、「受賞者の言葉」を読み、著者がやはりサリンジャーに影響されていたことが分かって、納得できました。

「十七八」が、『ライ麦畑でつかまえて』の、「イノセントワールド」に繋がった気がしました。

その他にも、中原中也やカフカにも影響を受けているようです。興味深いと思えたのは、『のぼるくんたち』(いがらしみきお作)という漫画にも影響を受けているようで、”こういうものをつくりたい”と思ったことを、言葉、つまり「小説」で表現しようとしたらしいことです。残念ながら『のぼるくんたち』を読んだことはないので、それがどこまで成功しているのかが分かりませんが、こういう試みは貴重なのではないかと思います。

読みやすくて簡単に感情移入してしまえるものだけが、実際に評価される小説ではない、ということは新人の文学賞の過去作品を多く読んできて分かっているつもりでした。読みやすくて簡単に感情移入してしまえるものは、紋切り型のものが多くて、小説の広がりも妙に小さく収まってしまう危険性があるのです。だから物を書く人は、もっと広い視野で小説を捉え、時には規制の形や概念を打ち崩していかなければならないのです。(新人賞に強く求められているのは、実はこういう心構えではないかと、最近は強く感じることがあります)。その結果、多少の読みにくさを伴うことになっても、小説として強度のある世界を創り上げることが出来れば、それが安っぽい「面白ストーリー」を創り出すことより、成功なのだと思います。

以上、あまり参考にならなかったかもしれませんが、良質な作品だと思いますので、興味がある方はぜひ一読されてみてください。

なお、著者が影響されているかどうかは分からないのですが、当作品と非常に雰囲気の近い文体に心当たりがあり、思い出したのでここに紹介しておきます。尾崎翠さんの『第七官界彷徨』です。これも、とても素晴らしい作品です。

第七官界彷徨 (河出文庫)

 

第七官界彷徨 (河出文庫)

尾崎翠著