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「サバイブ」加藤秀行著

(『シェア』(文藝春秋)に収録)

 

 

外資系エリートの友人二人(亮介とケーヤ)と同居する主人公「俺」。高級マンションに激安の家賃で住まわせてくれている亮介とケーヤを「旦那」とし、自らを家事に勤しむ「主夫」としてはばからない主人公。三人の少し奇妙な同棲生活とその人間模様が、淡々と描かれていくのですが、「主夫」である主人公の目線から見た、今時の都会のエリートたちの生活を

”嫌味にならないぎりぎりのところで粋に描かれて”(『文學界』2015年6月号 書評より)

と、選考委員の綿矢りささんからは高く評価されていたようです。

ストーリーと言えるようなものはこれといって見当たらない気がするのに、何故か最後まで面白く読まされてしまいました。むしろストーリーが無いという所が、この小説の強みなのかもしれません。(私たちは日々、ストーリーのない日常を生きていますからね)

ただし、ストーリーどころか、コンプレックスやナルシズムさえないとして、選考委員の吉田修一さんは

”読者はなんとも中途半端な嫌悪感を抱えて宙づりにされてしまう”(上記同より)

と批判的に述べています。

実際、裕福で恵まれた職業に就いた男たちと、まるで彼らに飼われている「ペット」ででもあるかのような主人公の日常生活は、羨ましい限りです。まさに彼らの周辺だけ、世界が輝いている。

けれど、本作は、そんな彼らにも言葉には出さない「不安」があることを、無数に散りばめられた「眩しさ」の中にもさりげなく忍ばせていて、何故か「共感」すら抱いてしまいます。まるで一読者でしかない自分が、都会できらびやかな生活を送る若者の群像に紛れ込んだかのような、そんな愉快な感覚でもあります。この不思議な「共感」性こそ、この作品一番の「魔力」ではないかと思われます。

なお、吉田修一さんは、一定の批判をされた後で、しかしむしろ作者にはこのまま突き進んでいって欲しいという感想も述べています。

悲しみを知らなければ悲しみを書けないように、幸せを知らなければ幸せは書けないのだし、もっといえば幸せの先にある悲しみにこそ、本物の「好感」が持たれるべきだと思うからだ。(上記同より)

こうした現代の若者像を描いた作品として、後に同作者は第154回の芥川賞候補になった「シェア」を書かれています。文藝春秋か発行の『シェア』に、本作品と共に収録されていますので、こちらの方も読まれてみることをお勧めします。

また、第120回の文學界新人賞は、杉本裕孝さんの「ヴェジトピア」も同時受賞作しています。

「ヴェジトピア」の読書感想はこちら