文學界2015年6月号

「ヴェジトピア」杉本 裕孝 著

(第120回文學界新人賞受賞作)

(『文學界』2016年6月号掲載)

 

自分を植物だと信じ込んでいる女が、花屋を営む男と結婚し、子を身籠る、という話。

劣等感の表れなのか、夫は言葉に吃音があって口数が少なく、笑わない。植物の話をする時だけ興奮する。その妻もまた自分を植物だと思っているのですから、なんだか奇妙な夫婦の物語りだという感じです。

冒頭の夫に宛てた、たどたどしい手紙文や、場面ごとの見出しに付される受胎前からの妊娠の過程などの表記が面白く、植物と人間が混合した世界というコンセプトにも惹かれて、かなり期待して読み進めました。

ただ、彼女の仕事である植物人間になった寝たきり老婦人の家の掃除、という場面の描写が始まってからは、急に作品の色彩やそれまで保っていた繊細な世界観が崩れてしまったようで、そこから先はかなり興が冷めてしまいました。

自分と同化して心を寄せているはずの老婦人のことを「植物婆(しょくぶつババァ)」と呼んでみたり、老婦人の財産を目当てに住み込んでいるらしい同居人の女に、何故か好感を抱く、というどうしても根拠を見だしにくい関係性が展開し……と、どうにも違和感ばかりが積み重なってしまいました。

選考委員の吉田修一さんも指摘しているように、「夫」の友人であり、仕事上の関係もあったり二人の仲人的な役割を果たしたりもした友人男性に対する態度も首を捻ってしまいます。この男にパンツを脱がされ恥部の匂いを嗅がれても、そこに正当な嫌悪感(もしくは好感)や、拒絶(あるいは受け入れ)といった人間的な感情を抱けない、状況を理解すら出来ない、という主人公の内面が、読者であるこちら側からもやはり理解できず、共感も出来なかった。

これをすべて「植物的」なのだから、としてしまうのは、あまりにも乱暴で粗野な感じがしてしまい、またご都合主義的な臭いもしました。

中盤から終盤にかけて、とにかく「植物」と何でもかんでも絡めて納得させてしまおうとする、強い力の働きを感じ、見過ごせませんでした。

選考委員の松浦理恵子さんだけが、当作品に高い評価を与えていて、そこにはまだまだ私の到達できない小説の領域があるのだと思いました。

ただ救われたのは、川上未映子さんが、物語のラストを「流産」と受け取ることで、この作品は完成するのだという驚くべき見解を示されたことで、ああ、そういう捉え方もあったのか、と、なんとか納得するに至りました。

なお、上記の各選考委員の方々のご意見は、『文學界』2016年6月号の書評より、参考にさせて頂きました。左記同には、本作品及び第154回芥川賞候補作「シェア」を書かれた加藤秀行さんの「サバイブ」も同時受賞作として掲載されています。