こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

今村夏子著(現在「あひる」が155回芥川賞候補にノミネート中の作家さん)

/筑摩書房

この作品は、太宰治賞と同時に三島賞もダブル受賞した作品です。また、今村夏子さんは「あひる」で第155回芥川賞候補にもあがっていて、注目の作家さんです。作品は「あたらしい娘」を改題したものです。

あみ子という、一風変わった少女を主人公に、変わっているが故に巻き起こっていく可笑しくて悲しい現実を淡々と描いていて、ちょっと恐いような話でもあります。好きだった同級生の男の子に、最終的に顔面を殴られて前歯を失くするという結末に至るまでの流れを、作者はおそらく時にこみ上げてくる笑いをかみ殺しながら、書き上げたのではないかと想像します。

もしも実際、家族や身近にあみ子みたいな人間が居たら、たぶんじぶんも少年のように彼女の顔面をいつか殴ったかもしれません。それくらいに、あみ子という女の子は、どうしようもなく自分本位で、他人の立場にたって物事を考えるということをしません。いえ、しないのではなく、出来ないのです。相手のことを考えて何か事を起こそうとしても、いつも見当違いな考えにしかたどり着けなくて、結局相手を最悪な気分に叩き落すことにしかなりません。しかも、そうなってしまった後も、自分が相手にいったい何をしたのかも、理解することがないのです。

と、こういう最悪な女の子なのですが、一読者としてある一定の距離から眺めている限りは、実に可笑しくて可愛らしくさえもあります。そして、時々、自分の過去や心の片隅のどこかにも、あみ子が潜んでいるような気がして、はらはらもします。どうしても、あみ子が他人に思えない瞬間があるのです。このあみ子、という主人公の少女を描き切ったところに、この作品の持ち味と評価があると言っていいと思います。

もちろん、前述したようにあみ子という少女は強烈な個性の持ち主ですので、読み手によっては好き嫌いはあると思います。これは、そういう好き嫌いで読まれてしまう作品であるかもしれません。けれど、あみ子が嫌いだ、という人にとっては、最終的に片思いの男の子に前歯を折られてしまうあみ子の結末は、むしろ愉快かもしれません。個人的には実の父親にまで見捨てられてしまうあみ子に、深く同情してしまいます。これが、すべて作者の企みだとしたら、どうでしょう?

切ないものと可笑しなもの、醜いものと美しいもの。愛おしいものと憎らしいもの。これらの対比をいかにこの作品が上手く絶妙なバランスで捉えているか、またあみ子をどう捉えるのかという読者側の視点の逆転で物語がどう様変わりするのか、この辺の描き方の面白さがある、そういう作品なのだと思います。