みずうみのほうへみずうみのほうへ

(第38回すばる文学賞受賞作)

上村亮平(著) 集英社

小説としての完成度が評価されての受賞でした。

7歳の誕生日に消えた父親や、幼なじみの少女との思い出、嫌いだったアイスホッケーとアイスホッケーの盛んだった町、父親と過ごした最後の夜に船上でしたゲームの主役サイモンとサイモンによく似た男との出会い、埠頭の加工場での清掃作業員としての仕事……。物語は時空間を彷徨うようにこうした様々な記憶や出来事の間を行ったり来たりします。一つ一つのエピソードは細かく描写もある程度具体的なのに、どこか抽象的に紡いでいるところがあって、読んでいると詩に浸っているような気分になってくる。読み終わってみると、これはやはり、長くて妙にリアル感のある不思議な一遍の詩だったのかな、と感じる。そんな小説でした。


選評で、奥泉光さんは、

抽象的でありながら、厚みのある叙情が漂い、決して斬新ではないけれど、一つの世界の手触りが着実に伝わってくる。(「すばる」2014年11月号より)

と評しながら、

むろんそれも日本語の近代小説がさんざんやってきたことで、だからこれは「小説の剥製」にすぎない、と、そういう批評は可能だと思う。(上記同より)

としながらも、評価しています。


剥製であれなんであれ、一個の世界を創り出す技術と粘りを評価したいと考えました。(上記同より)

この選評を読むにあたり、また同時受賞した「島と人類」(足立陽さん)との対比から、「すばる文学賞」という賞が、どういうスタンスの作品を(本心は)欲している賞なのかが垣間見えるような気がします。注目したいのは、本作品の方がどの選考委員も小説としての完成度の高さを褒めているのですが、そうした評価の得られなかった「島と人類」が、それ以外の理由でしっかりと支持されての受賞だった点です。「それ以外の理由」というのは実際に当作品を読んでもらいたいのですが、おそらく「試みることを恐れなかった」という点ではないかと思います。

近代文学を踏襲した美しい日本語で綴られた瑕疵なき作品というものも、もちろん受賞対象ですが、そこから敢えてはみ出そうとするエネルギーを発しているものもまた、受賞対象であるし、そういうものであれば、多少完璧さを欠いたところで問題はない。はっきりと選考委員の誰かがこんなことを言ったわけではありませんが、個人的にはそのような志向を感じました。